ローマ字にして母音
「つばき」っていうのをローマ字にして子音だけとったら「TBK」になって、これを日本語キーボードで見てみると「過去の」ってなるんですよね。
つまり、「つばき=過去のシロ」ってなって、つばきはシロに生まれ変わる前の前世の存在ってことになるんですよ。
映画の世界は西部劇で過去の話なんで一致してますね。
シロとつばきちゃんの性別が違うのも、生まれ変わったんなら説明がつきます。
さらに、「TBK」を反対から読んだら「KBT」。「かすかべ防衛隊」になるんですよね。
シロはかすかべ防衛隊の試験を受けて入隊したエピソードもあるんで、この「つばきちゃん=シロ説」がホンマにそうやったとしたら、椿の花言葉とか白い椿限定の花言葉とか、反対から読んだらかすかべ防衛隊とか、やばいほどの伏線が貼られててマジ考えた人天才なんですよね。
「KBT」が「かすかべ防衛隊」っていうのはこじつけが過ぎるんじゃないかって思うと思いますし、僕も最初はそう思ったんですけど、別の映画である『B級グルメサバイバル』で風間くんが持っているかすかべ防衛隊の手帳に「KBT」ってはっきり書かれてるんで、これでかすかべ防衛隊って読めることは証明されてるんですよ。
荒野で拾われた⇔野原に拾われた
つばきちゃんは映画の世界で荒野にいる時に知事に拾われていて、シロも元捨て犬だったのをしんのすけに拾ってもらってるんで、拾われたって言う境遇は一緒なんですよね。
ここで大事なのが、つばきちゃんが荒野で拾われている事なんですよ。
つばきちゃんは荒野で拾われていて、シロは荒野と対になっている「野原」に拾われましたよね。
荒野で拾われたつばきちゃんは知事とか言う糞やろうに拾われたんですけど、シロは「野原しんのすけ」という優しい子供に拾われていて、荒野と野原だけじゃなくて拾われた後の境遇まで対になってるんで、なんらかの関係がある可能性が高そうですよね。
つばきちゃんだけ名前が平仮名
つばきちゃんの名前の話なんですけど、カスカベボーイズの映画の世界は西部劇なので、登場人物の名前は全員カタカナでアメリカ人っぽい名前なんですよね。
でもつばきちゃんだけは名前が平仮名で、しかも名前の由来が日本語の「花の椿」なんで、日本に関係するんじゃないかって予測が出来るんですよ。
じゃあ誰やってなった時に、他の説も合わせるとシロって言う説が1番濃厚なんですよね。
つばきちゃんだけ平仮名で日本語名って言うのは絶対になんらかの意図があるはずなんで、逆にシロじゃなかったらなんやねんって聞きたいですけどね。
つばきちゃんだけ裸足
この映画の中の登場人物で、つばきちゃんだけなぜか裸足なんですよね。
かすかべの映画館からこっちの世界に来たんなら履いてるはずの靴がないんですよ。
でもかすかべから映画の世界に来たのが元々靴を履いてないシロやったら、靴を履いてなくても違和感はないんですよね。
でもそこで生まれるのが、なんで服着てんねん問題。
これ見てほしいんですけど、シロの首輪とつばきちゃんの服の色同じなんですよ。
だから、つばきちゃん=シロであるならばホンマは裸で描きたかったけど、そんなわけにはいかんから首輪を服にしたっていう風に言われています。
映画から帰ってきたときの椅子の数(時間差でシロが帰ってくる)
映画の世界から帰ってきたしんのすけはつばきちゃんがいないことに気が付き探し回るんですが、つばきちゃんは映画の世界の住人だと気付いてめちゃくちゃ落ち込むんですよね。
でもそこに家にいたはずのシロが現れて、しんのすけは元気を取り戻してみんなと家に帰っていくという終わり方をするんですが、シロが来る直前に映された椅子が6つなんですよね。
これどういうことかって言ったら、まず映画の世界から帰ってきたときの椅子の数は5つで、最後に映った椅子の数が6つなんですよ、だから
「シロが時間差で帰ってきたから椅子の数が増えた」「つまりシロがつばきちゃんの正体だった」と言われているんです。
これが1つ目のつばきちゃん=シロ説なんですけど、作品を見れば見るほどこれが本当であってくれって思うようになるんですよね。
まじでいい作品やし、この先紹介する説も含めて、いい都市伝説です。
エンディングで手を取って踊っている(作中でシロと手を取っている)
皆が消えたあと、家族でかすかべ座に向かう前に、しんのすけがシロに「帰ってきたらご飯あげるからな~」って手を取っていってて、エンディングの直前に再会した時も手を取り合っているんですよね。
この映画でシロが登場するときは「手を取る」っていう行動をしんのすけがとるんですけど、つばきちゃんと何の関係があんねんっていうと、エンディングのこのシーンです。
手を取り合って踊ってて、シロの時と同じ構図なんですよ。
これは制作陣が意図して同じ構図にしたんじゃないかと言われています。
現実でも記憶がなくなっている
かすかべボーイズは「現実世界から映画の世界に入ってしまい、徐々に現実の記憶を失っていく」っていいう設定の話なんですけど、
映画の世界から帰ってきた後に、映画館から出てこのかすかべボーイズのエンディングが流れる直前に逆にみんなの映画の世界の記憶がなくなってるように見えるんですよね。
ひろしが映画館から出る時に振り返って館内をきょろきょろ見るシーンもそうなんですけど、何よりつばきちゃんがおらんくてめちゃくちゃ落ち込んでたしんのすけが、シロと再会した瞬間に元気になってるんですよ。
映画の世界では「つばきちゃんと居ると嬉しくて現実世界の記憶がなくなりかける」ことがあったんですが、
現実で「シロといると嬉しくて映画の世界の記憶がなくなる」のは、シロがつばきちゃんやからなんじゃないかって言われてるんですよね。
これは普通に映画の世界では大好きなつばきちゃんがいて、現実には大好きなシロがいるっていう分けた考え方もできて、記憶がなくなる条件が「他のことを忘れるくらい嬉しい時」なら、別の存在でも成立するんでちょっと怪しい説ではあります。
シロとつばきちゃんの年齢が一致している
つばきちゃんは自分のことを中学生くらいって言ってるんで、大体12~15歳で
シロはしんのすけとの初対面時まで遡るんですけど、7話の「子犬を拾ったゾ」が放送された当時のシロは生後1年たってないくらいの年齢なんですよね。
そこからひまわりが生まれたことで時間がちょっとだけ進んで、大体1歳くらいになってるって考えたら、犬の1歳は人間で言ったら中学生くらいの年齢なので、シロとつばきちゃんの年齢は一致してるって言われてるんです。
ツバキの花言葉
つばきちゃんの名前である「ツバキ」の花言葉は「控えめなやさしさ」「謙虚な美徳」っていうつばきちゃんにピッタリなものなんですけど、椿の花言葉は色によって違うものもあって、
白いツバキの花言葉には「申し分のない魅力」「至上の愛らしさ」っていう、シロにピッタリな花言葉があるんですよね。
これはさすがに意識してつばきって名付けてなかったら逆におかしいって言えるくらい「つばきちゃん=シロ説」に当てはまってますよね。
ちなみに、椿は一般的に赤が主流なんですけど、かすかべボーイズのエンディングではなぜか白いツバキが描かれてて、これもこの都市伝説に拍車をかけてる要素の1つになってるんですよね。
しんのすけがガチ恋している
つばきちゃんはしんのすけが初めてナナコお姉さんを差し置いてガチ恋した相手なんですよね。
この今までにないイレギュラーな恋心は、つばきちゃんがシロやから生まれたものなんじゃないかって言われてて
でもそんなのは劇場版やったら何回かあるんちゃう?って言われると
僕の知る限りではしんのすけの心が揺らいだのってオラの花嫁のタミコくらいで、あの作品でもナナコお姉さんのことは一切触れてなかったですよね。
でもあれは未来の自分の結婚相手やから大切に思ってただけで、別に恋心とかはなかったと思うんで、やっぱりしんのすけがガチ恋したのはつばきちゃんだけで、かすかべボーイズは他にないイレギュラーな作品やと思うんです。
でもまぁけど、これが「つばきちゃん=シロ説」に直結するっていうのはちょっと無理な感じがしますね。
パンツ白い
顎を触りながら吟味する
おいしんのすけ、そこ変われ
こっからは、カスカベボーイズの監督である「水島努」さんのブログでのコメントを公式の声として紹介しますね。
椅子の数について
椅子の数については単純に作画ミスらしいです。
「登場人物であるつばきとは何の関係もなく、深読みをさせてしまって本当にごめんなさい。」ってファンに対して謝られてますね。
別に全然深読みできるようなものがあったほうが楽しいんで逆にありがたいですよね。
つばきちゃんが裸足の理由
これは完全に裏設定になっていて、知事であるジャスティスの前でなんらかのミスをしたからバツとして「靴は区の禁止!」っていう理不尽な言いつけがあったかららしいんです。
つばきちゃんのどん底感を出すための演出やったんでしょうね。
その証拠に、ラストの幸せなシーンでは靴を履いてますし、監督本院もそういってます。
最後にシロが登場した理由
カスカベボーイズはシナリオが完璧じゃない状態で制作作業に入ったんですよね。
その段階では「しんのすけはラストになんらかの理由でつばきちゃんがいないというショックから立ち直る」っていう設定しかなかったらしくて、そこで「そうだ!立ち直るキッカケはシロにしよう!」ってなってこのラストになったみたいです。
だから、シロがラストに出てきたのはたまたまなんですよね。
初試写にて
はじめて冷静に1本通して見れる状態である、初号試写のときに水島監督は「「つばきとシロ」は何か関係がありそうに見えるなあと、無責任に思ったのも事実です。」って答えてるんですよね。
ということは、監督の主張としては、作成時には「つばきがシロである」っていう設定はなかったってことになるんですよね。
でも「意図としては「違う存在」だけど、そうかも知れない。というのが正直な私の答えです。」
っていう回答を最後に残してて、水島監督は「つばき=シロ説」を完全には否定してないんですよ。
なんで、そもそも「つばき=シロ」っていう設定やけど、それを公式からは発表せずに視聴者間で考察して初めて完成する作品なのかもしれませんし、元はそんな設定なかったけど、視聴者間でそういうのが生まれて、そういうのもありやなってなった可能性もあるかもしれません。
「公式がそう言ってないし勝手に解釈して作品に失礼」っていう考えの人がおるのは知ってるんやけど、この都市伝説はこんなにも広まってて、公式にも質問が大量に送られてる中で、監督がきっぱりと「違う!」って言わずに、こんなにも濁した言い方をするってことは公式は嫌がってないし、なんなら楽しんでそうですよね。
で、こういう都市伝説の設定って、同作品の他の映画とかでも「あの時こうやったから」みたいな感じで感動できるんですよね。今回はシロとしんのすけの友情みたいな感じで、めちゃくちゃそういうのも乗算されて楽しめるようになるんですよね。
やから僕はこの都市伝説を信じたまま生きていこうと思います。