いつもお尻を出して踊ってる明るいしんのすけですが、実は物語全体がみさえの妄想だっていう都市伝説が存在します。
ある日、みさえがしんのすけとひまわりを連れて買い物に出かけた帰り道、横断歩道を渡ろうとすると、猛スピードでひまわりの乗るベビーカーにトラックが突っ込んできます。
しんのすけは妹のひまわりを守ろうと必死にベビーカーを押し飛ばし、自分がトラックにはねられてしまいました。
病院に運ばれたものの、5歳の小さな体では耐えきれず、しんのすけはそのまま息を引き取ってしまったんです。
深い悲しみに暮れたみさえは、現実を受け入れることができず、しんのすけが愛用していたクレヨンを手に取り、スケッチブックに息子が生きていたらどんな毎日を送っていたかを描き続けるようになりました。
僕たちが見ているクレヨンしんちゃんの物語は、全てみさえの妄想の中の出来事だというのがこの都市伝説の内容です。
この説の根拠として挙げられるのが、タイトルの「クレヨン」という部分。
普通に考えれば、クレヨンは幼稚園児が使うお絵描き道具なので、主人公のしんのすけの象徴として付けられたと思いますよね。
でも都市伝説では、これがみさえが妄想を描くのに使っているクレヨンのことを指しているという解釈になってるんです。
しかし実際のところ、この都市伝説は出版元の双葉社によって公式に否定されています。
タイトルの「クレヨン」についても、公式見解では「クレヨン=幼稚園児が使うもの、つまり主人公であるしんのすけの象徴」という、普通に考えた通りの理由でした。
作者の臼井儀人先生もこの都市伝説については否定的な立場を取っていました。
ただ、臼井先生が2009年に亡くなられてしまったこともあって、それがこの都市伝説が今でも語り継がれる理由の一つかもしれません。
ドラえもんには感動的な最終回が存在する。
そんな都市伝説が長年にわたって多くの人に信じられてきました。
ある日突然、ドラえもんが動かなくなってしまいます。
のび太が慌てて揺さぶっても、ドラえもんは微動だにしません。
駆けつけたドラミちゃんが診断すると、原因は電池切れでした。
しかしドラミちゃんは「お兄ちゃんの電池を交換すると、これまでの記憶が全て消えてしまうの」と、のび太に衝撃の事実を告げます。
悩みに悩んだ末、のび太はドラえもんとの思い出を守るため、そして必ず自分の手で復活させるために電池交換を拒否することを決めました。
それから数十年後、のび太は世界的に有名なロボット工学者になり、記憶を保持したままドラえもんを蘇らせる技術を開発し、二人は再会を果たすという感動的な物語です。
この話、実は完全にファンが作った二次創作なんです。
2005年にはこの物語を漫画にした同人誌が発売され、13,000部以上も売れました。
しかし、あまりにクオリティが高く、公式作品と見分けがつかないほどの出来栄えだったため、多くの人が本当の最終回だと誤解したんです。
この事態を受けて、出版元の小学館と藤子プロが著作権侵害として法的措置を取りました。
同人誌の作者は最終的に謝罪し、収益の一部を藤子プロに支払うことで和解。
これは日本の知的財産法において画期的な判例になりました。
実際のところ、ドラえもんに明確な最終回は存在せず、藤子・F・不二雄先生は「ドラえもんは子どもたちがいる限り続いていく」という考えを持っていました。
それでもこの偽の最終回が愛され続けているのは、のび太が努力によって成長し、大切な友達を救うヒーローになるという構図が多くの人の心を打ったからでしょう。
可愛らしい見た目で人気のミミッキュ。
でもその正体について、とても悲しい都市伝説が存在するんです。
1997年12月16日、ポケモンアニメ史上最大の事件が起こりました。
「でんのうせんしポリゴン」というエピソードで、激しい点滅シーンが原因で全国の子どもたち約700人が体調不良を訴えたんです。
この「ポケモンショック」と呼ばれる事件により、ポリゴンは事実上アニメから姿を消すことになりました。
実際に問題を起こしたのはピカチュウの技だったにも関わらず、ポリゴンだけが犠牲になってしまったんですよね。
そして約20年後の2016年、サン・ムーンでミミッキュが登場します。ミミッキュは常にピカチュウに似せた布をかぶり、その下の正体を見た者は謎の病に苦しむとされています。
都市伝説では、アニメから追放されたポリゴンが、自分を陥れたピカチュウの姿を真似て現世に現れたのがミミッキュだといわれています。
ミミッキュの「正体を見てはいけない」という設定も、かつて画面で見てはいけなかったポリゴンの境遇と重なる部分があるんですよね。
しかし公式設定を見ると、この都市伝説は完全に矛盾していて、
ミミッキュは「ばけのかわポケモン」として、寂しがり屋で人間に愛されたいという思いからピカチュウの姿を真似ているという設定。
ポリゴンとは全く関係のない、独立したポケモンなんですよね。
それでもこの都市伝説が広まったのは、ファンがポリゴンに対して感じた不公平感と同情の現れかもしれません。
黒の組織の正体を追い続けるコナン。
でも実は、真の黒幕が一番身近な場所にいるという都市伝説があります。
工藤新一がアポトキシン4869で小さくされた夜、自分にコナンと言う名を付けて阿笠博士の家に転がり込むのは有名なシーンですよね。
その時、博士は何の疑問も持たずに事情を受け入れ、様々な発明品でコナンをサポートしてくれました。
しかし後になって考えてみると、博士の行動には不自然な点が多すぎたんです。
博士の名前「アガサ」は、黒の組織メンバーの名前の由来となるお酒「アーント・アガサ」と関連があるのではないかと囁かれています。
決定的だったのは、博士がコナンに見せたあの表情でした。
「誰にも秘密を漏らすな」と言った時の異常なまでに厳しい顔つき。
あれは単なる心配ではなく、組織の人間としての警告だったのではないでしょうか。
そして名前の由来についても興味深い事実があります。
阿笠博士の「アガサ」はミステリーの女王アガサ・クリスティから、コナンの名前はシャーロック・ホームズの生みの親コナン・ドイルから取られているんです。
この二人の作家にはライバル関係があったとされており、それが作中でも反映されているのではないかという説まで存在します。
しかし、この阿笠博士黒幕説は作者の青山剛昌先生によって明確に否定されています。
2017年の週刊少年サンデーで、黒の組織の真のリーダーは故人である烏丸蓮耶だと示唆されました。
青山先生は当初シリーズが短期間で終わると考えていたため、初期の「手がかり」がファンに早期発見され、結果的に構想変更を余儀なくされた可能性もあります。
それでもこの都市伝説が長年愛され続けているのは、身近な人物が実は敵だったという展開の面白さと、ファンの鋭い洞察力の証明でもあるでしょう。
何十年も続くルパンと銭形警部の追いかけっこ。
実は、このやり取りには隠された真実があるんですよね。
アニメ第1期の最終回。
遂にルパンが銭形に追いつめられてしまいます。
もう後がないことを悟ったルパンは、アジトに仕掛けてあった火薬を引火させ、銭形の目の前で爆発してしまいました。
そして静寂が訪れます。
追いかける相手はもういない。
銭形警部の人生から、生きがいそのものが消えてしまったのです。
それから銭形警部は深い鬱状態に陥りました。
何十年もの間、ルパンを追いかけることが人生の全てだった男にとって、その目標を失うことは存在意義を失うことと同じでした。
やがて銭形の心は現実を受け入れることができず、精神的な逃避を始めます。
頭の中で、ルパンたちがまだ生きているかのような幻想を作り上げ、今日も追いかけっこを続けているという妄想に浸るようになったのです。
そして僕たちが見ているルパン三世の物語は、全て銭形警部の頭の中で繰り広げられている空想だというのがこの都市伝説。
もちろんこれはファンが作り出したもので、本来の1期最終回はルパンが爆発して死んだふりをして海に逃げて、それもバレて銭形と泳いで追いかけっこするというものです。
まる子の楽しい小学校生活を描いた『ちびまる子ちゃん』
でもその日常の裏には、隠された悲劇があるんです。
まる子には仲の良い友達がたくさんいますよね。
中でも特に親しいのが、たまちゃんとゆみこちゃんという女の子。
いつも一緒に登下校し、休み時間には楽しくおしゃべりをして、放課後は公園で遊ぶ。
そんな何気ない毎日が続いていました。
しかしある日を境に、ゆみこちゃんの様子が変わり始めます。
以前ほど笑わなくなり、時々ぼんやりと遠くを見つめるようになりました。
まる子は心配になって声をかけますが、ゆみこちゃんは「大丈夫」と言うだけで、詳しいことは話してくれません。
そしてある月曜日の朝、ゆみこちゃんは学校に現れませんでした。
先生から告げられたのは、ゆみこちゃんが自ら命を絶ったという衝撃的な事実でした。
都市伝説によると、まる子が見せているあののんきで楽しい日常は、親友を失った悲しみから逃れるための現実逃避だったんです。
大切な人がいなくなって現実逃避するのは、今回紹介したクレヨンしんちゃんの都市伝説と似てますね。
このような暗い設定が付加されてしまうのは、平和で楽しい日常を描いた作品に対して、視聴者が無意識に「裏の真実」を求めてしまう心理があるからかもしれません。
ばいきんまんとドキンちゃんには、実は隠された血縁関係があるという都市伝説が存在します。
ある日、ジャムおじさんはパン工場でいつものようにパン作りに励んでいましたがその日は新しいレシピに挑戦していた様子です。
アンパンマンが大成功だったので、今度は「ジャムパンマン」を作ろうと考えたジャムおじさん。
生地をこね、ジャムを包み込み、愛情を込めて焼き上げました。
しかし出来上がったパンは、一部にカビが生えてしまっていたんです。
ジャムおじさんは失敗作として処分しようとしましたが、その時、カビた部分から小さな生命が生まれました。
それがばいきんまんの誕生の瞬間だったんです。
それと同時に、カビの被害にはあっていなかった中のジャム部分からも別の生命が誕生して、それがドキンちゃん。
つまりばいきんまんとドキンちゃんは、元々一つのパンから生まれた兄妹のような存在だったという設定なんですね。
この説によると、ばいきんまんがパン工場を本格的に襲撃しないのは、自分の生まれ故郷だからだということになります。
確かに考えてみると、ばいきんまんって毎回パン工場に現れるのに、決定的な破壊はしませんよね。
しかしこの都市伝説は、公式によって完全に否定されています。
ばいきんまんの正体は「バイキン星」から卵の状態で地球にやってきた宇宙人で、さらに興味深いのは、作者のやなせたかし先生が語った哲学的な解釈です。
やなせ先生は「ばいきんまんはパンを作るために必要なイースト菌のようなもの」と表現しました。
善と悪は対立するものではなく共存関係にあり、「戦いながら共に生きている」存在だと論じたんです。
この公式見解の方が実は奥深くて、単純な失敗作という設定よりもはるかに哲学的な意味を持っています。
ファンが作り出した具体的で劇的な起源の物語も魅力的ですが、やなせ先生の抽象的で象徴的な世界観には及ばないのかもしれませんね。
2012年に連載が終了した、読売新聞で連載されていた『あたしンち』
僕も小さなときはたまーにお父さんの新聞を真似して読んでいて、その時に「新聞には漫画がある!」って気が付いたんですよね。
それからは何度か新聞を見かけたら漫画を探すようになったんですが、たまに競馬ようにコンビニで新聞を買ってきていて、その新聞に漫画はないんですけど、当時小学生だった僕は心臓をバクバクさせながら見ていたページがありましたね。なにとは言いませんが。
と言うのは置いておいて、その読売新聞でのあたしンちの最終回には、多くの読者を困惑させる謎の描写がありました。
それが、母がスーパーから空を飛んで帰ってくるというもの。
その様子を今まで出てきたキャラクターたちが全員出てきて目撃し、驚いているといういかにもな最終回でした。
しかし、この不可解な浮遊母を見た読者たちは、様々な解釈を始めます。
「母の魂が昇天している」「家族との別れを象徴している」「現実世界からの解放を表している」など、深読みする声が続出し、中には「作者からの隠されたメッセージ」や「連載終了への特別な想い」という解釈まで登場しました。
確かに普通に考えて、人間が宙に浮くなんてことはありえませんから、何か深い意味があるのではないかと考えるのは自然な反応ですよね。
しかし作者のけら先生は、後にこの謎について明確な答えを示しています。
実はこの浮遊シーンには、ファンが期待するような深い象徴的な意味は一切なく、「単に最終コマを奇妙で非現実的なイメージにしたかっただけ」と説明しました。
さらに連載終了の理由についても、深い創作上の理由ではなく、長期連載による肉体的な疲労が主な原因だったと率直に語っています。
つまり読者が勝手に深読みして、存在しない意味を見出していただけだったんですね。
作者にとってはちょっとした遊び心だった描写が、読者にとっては重要な暗号に見えてしまうという、創作者と受け手の認識のズレを示す興味深い事例と言えるでしょう。